おへそのおなか


2018年9月22日

 昨晩のうちに岡山に戻ってきたのも病院受診のためだったはずなのだが、受診時間45分前にして洗濯機を回し始めてしまい、もしかしてこれってヤバいんじゃないのという状況に気付きながらも畳まれ待ちの洗濯物にその半分を侵略されているベッドの上でいつまでも私はひっくり返っていた。

 洗濯物を干してから出かけるにしたって、洗濯機が動いている間に自分も動いて出かける用意をすれば十分間に合うはずだと頭では分かっているのだが、すっかりタスクが「・洗濯機が動き終わるのを待つ」になってしまいなにもする気にならない。まあ、最悪、晒したら怒られる部分を布で隠しさえすれば出かけられるし……という甘ったれた考えに体が乗っ取られてしまっている。ゴウンゴウンゴウン、洗濯がクライマックスを迎えても、私の顔は脂ぎったままである。ピーピーピー。いい加減動けよと洗濯機に腹を蹴られてようやく起き上がり、洗濯物を干し、ピンチの数が足りないので靴下4足を同じピンチに干すなどの荒技を行使し、洗濯物を干し終わってあら大変、出発すべき時間をとうに過ぎている。時間を守れない奴になにが守れるんだ。ドアラの言葉が頭をよぎる。遅れる訳にはいかない。脂をおともに帽子をかぶって部屋を飛び出す。ぎゅんぎゅん漕いで病院についたのは、予約時間の-5分前だった。ドアラとの約束をやぶってしまった悔しさでその場に崩れ落ち床を強く叩きながら神に懇願して時間を5分巻き戻してもらい事なきを得た。しかしそこに信心の薄い不届き者が現れ「遅刻は遅刻だろ」と言って私の左腹部をエクスカリバーで刺した。いろんな臓器が破裂して私は死んだ。遺体をお湯に浸けて5分のインスタント葬儀が開かれた。受付のお姉さんが割り箸でつまんで腸をすすろうとした時、図書館の本を返却しないといけないことを思い出したので慌てて生き返った。腸を収納してテープを貼ってなんとか図書館に辿り着き本を返した。体はでろでろだった。

 スーパーで食材をごとごと買い込んだ。いわゆるまとめ買いというやつだ。久しぶりにカートを使った。今はなぜだか料理に対して、というか、生活全般に対して前向きな気持ちである。生計は立てたくないけど生活はしたい。家に帰ってしっちゃかめっちゃか調理やら保存やらをした。ネギダレを作るべく漬け込んでいる途中に手元が狂って全部ひっくり返した。しかし建設的な人間なのですぐに対策を練った:「輪廻転生を肯定する宗教に入信した上で死ぬ」。もう今世は無理だ。ぐすんぐすん。泣きながら刻んだ玉ねぎを冷凍しようと思ってジップロックに入れた後「ストローで空気を吸い出すといい」というどこかで仕入れていた知識を思い出し実行したら玉ねぎの刺激が直で肺まで入って体の内側がヒリヒリした。愚かだ。典型的な想像力が足りない人間だ。げほげほ。しかし建設的な人間なのですぐに対策を練った:「輪廻転生を肯定する宗教に入信した上で死ぬ」。

 鶏肉をどうにか加熱して煮汁に水溶き片栗粉でとろみをつける料理を作って食べた。レシピはグラム数まで丁寧に書いてあったのに、水溶き片栗粉だけ「適量」と書いてあって急に崖から突き落とされた気持ちになった。私に適量ははかれない。以前、水溶き片栗粉を入れすぎてたれになるはずたったものが甘辛いゼリーになった苦い経験が思い出される。しかし私はふとすごいことに気付いた。もしかして水溶き片栗粉って、ちょっとずつ足したら間違えないんじゃないの。試みは大成功であった。最近ハマっているキャベツの千切りを添え、賞味期限の切れたトマトジュースで適当なスープを作った。

 食べ終わってからすぐに洗い物を済ませた。すごいぞ、どうした、自分を讃えながら湯船なんかにも浸かってみる。ご機嫌で歌もうたった。ポケットモンスターの歌をうたったのだが、いつまで経っても2番に移れず、8回くらいマサラタウンにさよならバイバイした。朝の傷口が開いて腸が湯船に漏れ出した。いつまで引っ張っても端がないので怖くなってやめた。

白髪ネギは畑に生えない

・レシピを見ていたら時々あらわれる「白髪ネギ」なるネギが近所のスーパーには売っていないので関東でしか手に入らない食材なのかと思っていたら、白髪ネギとは長ネギの白い部分を細く切ったものだということを知り衝撃を受けた。この衝撃、覚えがあるぞと思ったら、何年か前にもまったく同じことに気付いてびっくりしたんだった。

松浦亜弥さんって結婚していたの、と驚くのも今世で何度か経験した。しかも相手はw-inds.橘慶太さん。え、すごくないですか?

・「顆粒」のことをずっと「けいりゅう」だと思っていて今でもたまに言ってしまう。「はびこる」と「はこびる」もどっちが正しいか分からなくなるので「蔓延する」と言って誤魔化している。

・片栗粉はスーパーにおいて小麦粉の近くにあるのではなく、和粉というコーナーにあるということを強く意識し過ぎて、スーパーに入るたびに「片栗粉は和粉コーナー」と考えてしまう。片栗粉を買う頻度はそんなに高くないのに。もし私が片栗粉が和粉コーナーにあるということを意識しなければその分、別の有意義な考えが頭をめぐっていたはずで、そのなにかすばらしい考えによって私はしあわせな人生を送っていたに違いないはずなのに、片栗粉が和粉などという訳の分からない分類をされているせいで、私はこんな暮らしを強いられているのである、そうに違いないのである。そんなことを考えながら、私は水溶き片栗粉でたれにとろみをつけ続ける。

京都から岡山を旅したじゃがりこ

 岡山・京都間の移動に高速バスを使うようになった。これまでは行き当たりばったりで家を出て新幹線に乗るなどしていたのだが、一番安く行ける回数券を購入し、乗車のたびに1つスタンプを貰えるバスカードを大切に財布に忍ばせている。あと8つで無料乗車券がわりだ。新幹線を使えなくなった理由は、まあ、お察しください。

 最近もしばらく京都に滞在していた。なにせ京都の人間はすぐに人を泊める習性があり、宿をとらずしてなんとなくその辺りをうろうろしながら「能もなければ金もねえ♪」とスイスイスーダラしていれば見かねた誰かがうちに来なよと風呂と寝床を提供してくれるといった具合なので、岡山で顔を上げて歩けない私には持ってこいの避難先なのである。本当にいつもありがとうございます。

 そんな調子なのでもはや旅行というより逃避と呼んだ方がすとんと来る。もはや京都に根を生やしてやろうかとも思うのだが、あらゆる籍が岡山にある以上そうもいかない用事が発生してしまうもので、今回もあらがえぬ力にズズッと引き寄せられ高速バスの予約をとった次第であった。

 京都から岡山まではおよそ3時間半。そんな長い時間をただ座って待てるほど気長でもないので、口慰みを獲得すべく乗り込んだセブンイレブンで手に取った「ナチュラルポテトうましお味」と「カプリコのあたま」を連れていざゆかんとバス乗り場を目指すのだが北やら南やらなんとか口やらなんとか口といった位置関係がまったく分からず、たっぷり時間に余裕を持って発ったはずだというのに出発時間ぎりぎりに汗だくだくでバスに乗り込む始末であった。なんとか腰を落ち着けてナチュラルポテトうましお味をドリンクホルダー、カプリコのあたまを網ポケットにセットする。ラッキー、隣の席には客がいないぞ。手持ちのトートバッグを置かせていただく。快適なバスの旅の始まりだ。

 通路をはさんで反対側の座席には化粧気の薄い20歳前後と見える女性が座っていた。ドリンクホルダーにじゃがりこがセットしてある。お互いいい趣味してるね、快適なバスの旅を楽しもうねと念を送りナチュラルポテトをひとつ食べる。おいしい。もう一口。おいしい。もう一口。おいしい。もう一口。おいしい。もう一口。おいしい。あ、いけない、まだ京都駅も見えるというのに半分近く食べてしまった。一度手を置く。

 カプリコのあたまも食べようかな。12個入りなので、慎重に食べ進めないといけない。一口。おいしい。もう一口だけ。おいしい。2つ食べてもまだあと10個ある。はじめから10個入りだったと考えれば実質まだひとつも食べていないということになる(?)ので、もうひとつだけ食べようかな。ぱくぱく。そんな調子で自分に負け続けているうちに、あっという間にすべて食べつくしてしまった。まだ京都府すら出ていない。絶望。じゃがりこ女をちらりと見てみる。まだほとんど食べていないのではないか。目の前にじゃがりこがありながら手をつけずにいられるとは、並大抵の精神力ではなさそうだ。圧倒的な自律心。さては食べてすぐ皿を洗えるタイプの人間だな。そんなことを考えながらうましおにまみれた指をぺろりと舐める。うまい。おやつがなくなってしまった以上、仕方ない。おやつ代わりにタイムラインを更新し続け、サービスエリアを待った。

 水をちびちび飲みながらサービスエリアを焦がれること2時間、到着のアナウンスに意気揚々と降り立ち、サービスエリア料金でトッポを買った。トッポはなにせ2袋入りだ。10分に1本かじればお釣りがくる。お腹もまあまあ膨れているので大丈夫だろう。安心してバスに戻る。じゃがりこ女は相変わらず京都のじゃがりこをセットしたままだ。私のナチュラルポテトとカプリコのあたまは、空になり兵庫のサービスエリアのゴミ箱に飲み込まれてしまったというのに。岡山まで連れて帰ることができなくてごめんよ。私はもう兵庫のトッポに夢中だよ。

 出発するまでの間にトッポを開封する。無意識に2本いっぺんに口に放り込み、口の左右でぽりぽり噛む。しまった。2本ずつ食べていたら岡山までもたないぞ。それでも細い棒状のおやつは2本同時に食べるのがもっとも素敵なのでそれを我慢することはできない。シンメトリーな食感。うっとり。いや、なにも難しく考えず食べるペースを抑えればいいのだ。とはいえ目の前にこんなにおいしいおやつがあるのに我慢できるはずもなく、一口だけ、と2本のトッポを口に運ぶ、これを繰り返しているうちにあっという間に1袋目が空になる。駄目だ駄目だと思いながら2袋目に手をつけて、その後はあっという間だった。横目でうかがうじゃがりこ女は乗車してからじゃがりこを1本食べただけ。細い棒状のおやつを1本ずつ食べられる人間は強い。相変わらず2本ずつトッポをかじりながら、そう確信した。

 早々にトッポを食べ尽くしてしまい白目を剥きながら座席に体を預ける。かくなる上は寝よう。グースカピー。次に岡山で目を覚ました時にも相変わらず京都のじゃがりこじゃがりこ女の前にお行儀よく座っていて、じゃがりこ女はスカートをふわりと揺らしながら、京都のじゃがりことともに岡山の地へと降り立っていくのであった。

私と嘔吐【閲覧注意】

※本当にずっと嘔吐の話ばかりで汚くて気持ち悪いです。閲覧注意です。









 今朝、目を覚ますと便座に突っ伏していた。不自然な体勢で寝たので体が痛い。分かりやすい二日酔いで頭も痛い。床に転がるiPhoneの中には送信済みの支離滅裂なメッセージが並んでいる。ブログの下書き画面には酔っぱらって打ったのであろう文が残っていたのでそのまま載せる。

下手したら惣菜背筋の汗遠くなっていく心地を心地よく感じな。いつの間にかトイレで嘔吐をしながら眠っていたらしい。電球が死人してくれているおかげで見ずに済んだ現実をレバーでひねって見ずに流す。枕がわりに便座に頬を押し付けて今日はこのまま寝ようと思う。吐瀉物にこすられた喉がひりひり

 嘔吐しながら残すほどの文章ではまったくない。ひどい夜だった。偉いのは一切部屋を汚していないことくらいだろう。



 思えば、嘔吐している姿を人に見せたことがない。



 人生で初めての嘔吐は寝ゲロであった。当時4歳だったと記憶しているが、朝起きると枕元がひんやりする。何やら赤いグチャグチャが枕を汚していて、私はすぐにそれがゲロだと分かった(それまでにゲロという概念は獲得していたらしい)。そして何を思ったかゲロを布団で覆い隠し、そのまま寝たふりをした。いよいよ保育園に行く時間になるのでと母親に布団を引き剥がされてゲロが見つかり、どうして隠したのかと叱られたのである。

 それからしばらくは嘔吐に無縁だったのだが、寝ゲロの経験が響いたのか、嘔吐恐怖症のような状態が続いた。何をしていても自分が嘔吐するイメージがつきまとうのだ。小学校で嘔吐下痢が流行った時、クラスメイトの1人が授業中に嘔吐した姿を目にした時は、もらいゲロ一歩手前だった。しばらくはその光景がフラッシュバックしてしまい、自分が人前で嘔吐する恐怖に怯えながら過ごしていた。嘔吐恐怖は高校生まで続いた。

 二十歳を超えると、どうやら大人は酒を飲みすぎた時にフランクに嘔吐するらしいということを知り、かなり恐怖がやわらいだ。飲み会中に友人が「ちょっと吐いてくるわ!」と明るく席を立った時には、なんと勇敢なことかと感動さえ覚えたものである。私も飲みすぎて気持ち悪くなると人知れずトイレに消え、ゲロを吐いた。死に際の猫のようである。

 それからも酒の席で何度も羽目を外して気持ち悪くなり嘔吐に至るのだが、人前で大事に至ったことはない(はず。忘れているだけだったらすみません)。最近は随分と嘔吐に対して寛容で、金曜日の夜が明けた町を歩いていて地面にゲロが散っていると清々しさすら覚えるし、酔っぱらって友人が吐いている姿は色っぽいなあ、とも思う。

 何より吐瀉物が自分の食道をせりあがってくるあの感覚が好きだ。わざわざ逆流してまで。ゲロの滝登り。ものすごいエネルギーを感じる。すすんで吐こうとは思わないが、慣れない酒に潰れた後、家に帰って安心な閉所の中行う嘔吐はなかなかうっとりする体験である。

2018年9月2日

 お腹いっぱいなにかを食べたい気がするけどなにが食べたいのかわからない、どこかに出かけたい気がするけどだれともすれ違いたくない。ぐだぐだぐだと無益と切り捨てるのに十分な時間を天井に見下ろされながら過ごしていたら、夕方だ。

 好物であるネギも切れていることだしなにも食べる気がしない。だからといって買いに行く気もしない。ようやく起き上がってアーモンド効果を今度こそ200ml程度慎重に注いで一気に飲み干した(昨日はこぼした)。9月になったので7月のままだったカレンダーをめくって部屋に8月を迎え入れた。8月が終わったからといって夏が終わる訳ではないんだろうけど、都合よく涼しくなったので、感傷にひたるにもちょうどよさそうだ。自分だって、感傷にひたるに足る程度の夏の思い出がある。働いていないのに。

 そもそもどうして「夏の思い出」ばかりが優遇されているのだろうか。春の思い出、秋の思い出、冬の思い出に比べるとやや特別な感じがする。それぞれに楽しい思い出があるはずなのに、夏の思い出だけ後光をまとっているようである。不思議だ。一度、夏のせいにしているJ-popの歌詞をまとめようとしたことがあるけど、みんな夏のせいにしたり、夏のせいじゃないと言い張ったりしていてややこしかったので諦めた。

 とか思っていたら夜になったので出かけた。

 しばらく会っていない友達に「会おう」と連絡して、それから、予定を立てるのがしんどいなと思って自分から断った。当たり屋かよ。本当にごめんなさい。

 涼しくて嬉しい。

 いつか誰かに「情緒が足りない」と指摘されたことがある。情緒にも才能があるんだろうか。あるんだとしたら、自分はそれに乏しいのだろうなと思う。そういうものが豊かであろう人のことがいつも羨ましい。一体どんな風に世界が見えているんだろう。

 夏休み最終日っぽいので哀愁でも分けてもらおうと思って夜の新幹線ホームでお酒を飲んだ。改札内のコンビニでお酒を買おうとして気付いたんだけど、改札内のコンビニには金麦がないのである、というか、安い酒が少ない。新幹線に乗る客は安い酒を飲まないのであろうか。仕方なく大好きなサッポロ黒ラベルをコンビニ価格で買った。日にちもあって、飛び込む人が出やしないかとすこしばかりどきどきしたんだけど、特にそんなことはなかった。新幹線のホームで誰にも見つからないように自撮りをした。散々長居をしたけれど夜ということもあって特に夏休みとは関係のなさそうな大人が表情もなく新幹線に乗り降りするのを眺めるばかりの時間となった。ビールをたっぷり時間をかけて飲んで、家に帰った。

2018年9月1日

 歩いてパン屋に行った。パンはおいしかったんだけど、今食べたいパンではなかった。合っているパンが食べたい。なにが合っているのかは分からない。

 毎日飲んでいるアーモンド効果という飲み物、もともと200mlパックを買って飲んでいたんだけど、最近は1000mlパックを5日に分けて飲んでいる。200mlのはかり方ついては、はじめだけ計量カップで200mlきっかりをはかってマグカップに入れ、液体表面の大体の位置を覚えておいて、あとは目分量で適当に注ぐというものなんだけど、今日が残り200ml前後の日だろうと思って勢いよくマグカップに注いだら残り400ml前後の日だったらしく勢いよくこぼれた。びっくりした。200ml前後の重さだったじゃん、というかなしい呟きがキッチンに溶けた。残りがおそらく80ml程度になってしまったアーモンド効果を翌日に持ち越すのも気持ちが悪いので、その場で全部飲んだ。床は拭いた。

 埃を撒き散らしたような空で、ダイソン掃除機の実演販売にちょうどよさそうだなと思った。

 よく通る道を歩いていたら急に安っぽいカラオケサウンド、こなれた合いの手入り、が爆音で降り注いできた。しかしあたりを見回しても明かりにすら乏しく、そのようなサウンドが発生しそうな施設がないので、まさかこんなパーティーじみた幻聴が聞こえるようになったのか、人生のBGMがパリピ.mp4に設定されてしまったのかとどきどきしていたけれど、しばらく歩いていくうちに音が小さくなっていったので、やはりどこかの音漏れだったのだろうか。でもあんな音初めて聞いたぞ。なんだったんだろう。夏を惜しんだパリピの霊か?

 Twitterの公式アプリをやめて、featherという有料アプリに乗り換えている。Twitterの仕様上避けられないシステムとして、リアルタイムで通知がこない、15分に15回しかタイムラインを取得できないなどの制限はあるけど、プロモーションツイートが流れてこない、トレンドを非表示に設定できる、いいね・RT数が表示されない、検索しても話題のツイートを表示しないなど、精神にやさしいシステムが気に入っている。公式アプリで気になる話題を検索すると、どうしても多くいいね・RTされているツイートがトップに表示されるのが結構しんどかったんだなと乗り換えてみてから気付いた。そういうツイートって有益なことも多いけど、世間おばけのようなものが透けて見えることも多い、気がするから。あとトレンドが表示されないのがとにかく最高。トレンド知りたくない。トレンド怖い。

 Twitterつながりで、最近はあらゆるワードをばんばんミュートに設定している。トゲの生えている単語とか、トゲの生えやすい話題とか。タイムラインがおだやかである。安心でけしからんインターネットが大好き。

 夜になってから散歩をした。涼しくて気持ちいいのでお酒でも買おうと思ってコンビニに入ったら財布がなかった。本当によく財布を忘れる。どうしてもお酒が飲みたかったので一旦家に帰って財布を持ってまた出かけた。最近は金麦を飲んでいる。安い。ベンチでぼーっとしていたら夜が更けてしまって、コンビニでアイスを買って、食べながら帰っていたら、知らない人に話しかけられた。「夜も遅いので気をつけて帰ってください」と言って別れた。

 ドアラの話ばかりしてしまうけど、どうして、本当に、もう、そんなにかわいくてどうするつもり、と思いながら眺めている。ドアラはそのかわいさで世界を平和にしちゃうんじゃないかしら。最高だな……。ドアラのいけないところは、自分のかわいさをしっかり分かっているところなんだよな、もう、ニクいぜ、うそ、好き、大好き……。おしりおしりと言っていたけど、ほっぺたとおくちもとってもキュートなのである。というかすべてにおいてキュートなのである。好きなのである。

チーズケーキと出会い厨

 最近、岡山を走っていたバニラトラックをまったく見なくなった。あの音が怖かったのでうれしい。

 岡山で怖いといえば、駅前でやたらチーズケーキを売ろうとしてくる人たちもそうだ。その人たちは大きい保冷ケースを手押し車のようなものに乗せて駅前を歩いては通りを行く人たちに声をかけてチーズケーキなどを売っていて、私もすれ違うたびにやたら親しげに話しかけられる。それはまあ、そういう商売なんだろうからいいんだけど、チーズケーキを売りたいだけのはずなのに「こんにちは、暑いですねえ」などと声をかけられるのがつらい。「自分チーズケーキ売りたいっす」とはじめから目的を明かしてくれた方が気持ちいい。私は曖昧にお辞儀をしながら通り過ぎてしまうんだけど、中にはうれしそうに話し込んでいる人の姿も見かけるので、ああいう営業が響く層がたしかに存在するんだろうな。

 ところで私は以前よく匿名チャットサイトで遊んでいたんだけど、話し相手にあたる人の中には、主にヤれる異性との出会いを目的として年齢・性別・居住・顔写真などの情報を求めてくるいわゆる「出会い厨」と呼ばれる人たちも少なくなかった。はじめから出会い厨であることを示してくれる場合はいい、厄介なのはある程度話してから出会い厨であることが判明するパターンだ。えーっ、ヤりたいだけなら最初から書いておいてよ、その方が効率的じゃん、ただでさえチャットサイトなんて効率が悪くて仕方ないでしょうにという気持ちになるんだけど、彼らの前戯はチャットからすでに始まっていたのかもしれない。

 そんな思い出もあって、関係ない話題で声をかけてくる若い兄ちゃんに出くわすと、いつかの仮面出会い厨のことを思い出してしまうのである。彼らは今もチャットサイトで前戯にいそしんでいるのだろうか。