おへそのおなか


『すこし低い孤高』トークイベントに生身で参加してきた

 2018年2月25日、大阪にある「シカク」というお店で、ラショウさん、香山哲さんの共著『すこし低い孤高』の完成記念トークイベントが催された。入場は無料。


はじめに試み

 トークイベントの中で、「みんな」ではなく「ひとり」に向けて発信することでメッセージ性が高まるというお話があったので、今回は特定の人へ発信する意気込みで感想を書くことを試みる。

 そしてこれは自分の勝手な考えだけど、受け手だって「これは自分のためのものだ!」と思い込んだ方がたぶん楽しい……と思う。そういう訳で、私たち、これからバーチャル両思いになりましょう。よろしくお願いします。

 本の概要、試し読みはこちら▶︎(【すこし低い孤高】|kayamatetsu|note)でどうぞ。

「ナマ」という良さ

 さて、トークイベントの内容だけど、何と録音したものが近日中に公開される)らしい(すごい)。つまり、特に要約が得意でもない私が内容をお伝えする必然性は一切ないのである(内容について言えば、絶対お二人のナマの声を聞いた方が良いし)。

※追記 録音公開されました。
▶︎【すこし低い孤高】完成記念おしゃべり会の録音|kayamatetsu|note

 じゃあ私にしか伝えられないことは何かというと、26年間私を私として生きてきた人間が不具合の多い体を引こずって新幹線やらナントカ線やらナントカ線を乗り継いで生身たちの集まるお店「シカク」に行き、何を感じたかということである。

 結論を言うと、ナマは良い!

 好きが重なっている人たちと、同じ温度で、同じ匂いで、同じ空気の震えを感じている! これだけでもう、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。ただそこに最適な環境と人々を配置するだけで幸せが発生するタイプの放置ゲーである。しかもそれが3時間続くのだから、心がどんどんみずみずしくなってゆくのも致し方ない。

 トークが始まる前、ラショウさん香山さんによって「全員が何も我慢しない」というハートフル条約が締結された。疲れたら言う、トイレ行きたかったら行く、飽きたら出る、飽きなくなったら帰ってくる。我慢するのも辛いし、我慢をされるのも辛い。与え合えば余るのが幸せなんだとしたら、強い合って余るのは不幸なのだ。全員がちょっとずつ心にゆとりを持って、そのゆとりを共有すること。ナマだと不具合も生まれやすい。この日は予想を上回る集客があったそうで、椅子の数が足りなくなっていたけれど、誰も不満気な顔をする人はいなかった。会の途中で席を譲る人がいたり、休憩時間が設けられたりと、みんなが過ごしやすいようにいろんな人が配慮をしてくれていたように思う。

 トーク内容については触れる必然性がないと言ったんだけど、ひとつだけ今すぐにシェアしたいことがあるので、数行前の発言をさっさと覆す。コメジルシ、これはお二方がこう言っていましたよという話ではなく、お二方の話を受けて、言葉をたくさん拝借しながらの個人の解釈なので、いろいろご容赦ください。

 この世にはニフラムドラクエに出てくる呪文。イヤな敵を光に葬る。気持ち悪いのにほどよく効く)を唱えたくなるようなヤツがそりゃあもうたくさんいる、と思う。少なくとも私にはいる。

 だけどソイツをニフラムド状態にせしめるのは世にある「システム」なのであって、一定数の人が引かなきゃいけない負の宝くじのようなもの。その時、私は今まで頭の中で寝転がしていた疑問符に対するひとつの答えを得た。今まで大嫌いだと思っていたアイツ、だけどニクむことには違和感があったその違和感の正体は、あくまで性善を信じたい自分の、「システム」から生ずる軋轢に対する違和感だったのだ。

 答えを得たからといって私は聖人ではないので、イヤなヤツのことは相変わらずイヤなまんまだ。それでも社会にいる一人ずつとして、それぞれが幸せに向かえたらいいなとは思う。同じ檻の中じゃよろしくやる訳にはいかないけど、だからと言って銃は必要ない。立ち向かわなければならないんだとしたら、それは今ここに在る個人ではなく、その人のアクマを覚醒させたシステムの方なんだと思った。

 さて、トーク内容については録音したものが公開されるということだったけど、参加者のお悩み相談コーナーは個人的な話もあるので公開されないとのこと。皆さんの相談内容は伏せるけど、私がした質問についてすてきな回答をいただいたので、これについては共有できたらなと思う。

 私の相談内容はこんな感じだった。

3月末で仕事を辞めることにしたが、次に何をするかは決めていない。やりたいことのキーワードのようなものはちらほらと浮かんでいるが、実績がある訳ではない。これからどうしたらいいでしょうか。

 漠然も漠然。以下、いただいた回答。一言一句書き留めていた訳ではないので、私の解釈がお二人の本意と必ずしも合致しないことはご容赦ください。

 まずは花(自分が良いと感じるもの)をたくさん摘むこと。たくさん摘んで、自分にとっての良さや、美しさの価値観を手に入れること。花を摘まないで、自分の中に理論や価値観を置かないまま突き進むのは、ウーン、ということ。これについては本の中でも触れてある。

最初に「やりたいこと」を定めるでなしに、自分にとってのこの「出来」「良さ」をまずなるべくたくさん集めることを目標としたらどうか? という提案なんですね。出来、良さを集めるとおそらく自分自身が当初よりバージョンアップされた人間になっていると思うんです。特に目と心境が。
(『すこし低い孤高』47頁)

 それに加えて、脳に宿題を出しておくこと――たくさん疑問符を浮かべておけば、意識していない間にも脳はそれを考えてくれる。そういう風になっている。この日の私にだってそれを感じることができた。そうしていつか「今だ!」というゴーサインを出してくれるらしい。

 とりあえずこの4年間は嫌なことに向き合う訳でもなくただ最低限のバリアを張りながら1日ずつの生存を目標としてきてしまったので、脳はVer1.0.0で止まってしまっている。そりゃバックグラウンドタスクの実行もおざなりになるよなという感じ。この日を経てVer1.0.1くらいになれていたら良いなと思う。

 トーク終了後、『すこし低い孤高』と、ラショウさんの『主なチョ作』を購入。その時、レジカウンターの中には店員さんと思しき方が2人、そしてレジ台の上にはわりと大きめの猫ちゃんがいた。この猫ちゃんがまた、画面の前を横切ったり、会計中にウロウロニャンニャンしたりするんだけど、もちろん誰もいらいらすることはない。なんなら店員さんが「うちのお客さんは待ってくれる人ばっかりだから大丈夫だよ」と言い出す始末。最高じゃん。こういう信頼関係の上に成り立つ効率非最重視の接客は気持ちがいい。

 ちゃっかりサインもいただいた。その時にも少しお話をさせていただいた。与え合って生まれた幸せの余剰を自分はすべて私利私欲に費やしてしまう、という話をしたら、「そういう真面目な考えの人は大丈夫だと思いますよ」と言っていただいた。大丈夫なんてそこら中に転がっているけど、この人たちにこの距離でナマ・大丈夫をいただいたんだから、それはもう大丈夫なような気がした。

 トークイベントの後、友達と一緒に香山哲さんがおすすめしていた韓国料理屋「元(ウォン)」に行った。先ほどのイベントに来ていた方が先客で居て、相席させてもらった。人懐こいお母さんの人懐こい接客。予想の3倍程度の量があったチヂミ。なんだかよく分からないけど運ばれてくるお米。追加キムチ。初めて会う人たちだらけだというのに、ひとつも嫌な思いをすることなく過ごせた。

 お店を出る時、雨が降っていた。斜向いに家があるというお母さんが、小走りで傘を取ってきて、私に渡してくれた。優しさの傘で雨をしのいで、私たちはそれぞれの家に帰ったのであった。

リンク

▼ インディーズ出版物のお店「シカク」
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▼ ラショウさん
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香山哲さん
HPHP