おへそのおなか


蕎麦屋で母の死を意識する

2018/5/5(土)

 風の強い日だった。実家に帰省していた私は、この日岡山に戻るので、最後の昼食に山陰の蕎麦が食べたいと言って、母と兄と一緒に蕎麦屋に行った。

「こげな所に蕎麦屋さんがあったんだねえ」

 母は温かい山かけ蕎麦を、兄と私はざる蕎麦を注文した。冷えた蕎麦茶が入ったポットを感心したように撫で回しながら「うちにもこれがあーと良いねえ」と母が頷く。わざわざ買わなくても家に似たようなポットがあることを兄も私も知っているが、適当な相槌を打った。

「この前、母さんが持って帰ったうどん、食えたもんじゃなかったわ」

 思い出したように兄が苦言を呈する。

「そげなことないでしょ」
「茹でたては美味いんだろうけど、茹でたのを持って帰るけん、いけんのだわ」
「ふーん、そげかね」

 母は気を悪くした様子でもなく適当な返事をする。この様子だとまた例のうどんを持ち帰ることは想像に難くない。そして文句を言いながらそれをたいらげる兄の姿も。

 還暦を迎えた母は、うどん屋でバイトをしている。この前まで780円だった時給が20円上がって800円になったと嬉しそうに教えてくれた。私よりも安い時給である。人の良い店長のこと。刻んだネギの大きさがばらばらで店長に叱られたこと。まかないを食べている間も時給が発生すること。客との笑い所のない会話の仔細。話好きの母がより饒舌になるのでどうやらうどん屋のバイトはかなり楽しいようだ。





 今年のはじめ、幼い頃から親しくしていた親戚が亡くなった。

 癌だった。進行が早く、体調が芳しくないと聞いて見舞いに行った時にはあまりにも肉体に不具合が多過ぎて、コミュニケーションもままならなかった。亡くなったと聞いた時には安心した。生きているからこそ執着してしまう生から解放されて、ようやく安らかに眠れただろうか。

 昨年の正月にはまだ病に気付かぬ彼女の家に遊びに行って、お茶を点ててもらった。飲み干す度に「もう少しゆっくりしていきないね」とまたお茶を点ててくれた。旦那さんが入院していたので、家に話し相手が居ないこともあったのだろう。それが元気だった彼女と話した最後の記憶である。

 この四月の終わりに、彼女の旦那さんも亡くなった。彼もまた癌だった。昔から寡黙な人で、あまり会話が弾んだ記憶はない。仕出し屋を営んでいて、毎年正月には彼の作ったおせちを食べた。錦卵が好きでいつも兄弟で取り合うという話をしたら、翌年からは錦卵が増えたことを覚えている。

 生きている私は、帰省してすぐ、二人の墓の前で手を合わせた。罰当たりを承知で言うと、墓参りはあまり好きではないが、それが周囲から期待されている行動だと思ったからだ。墓参りをする度に分からなくなる。一体私たちは何に拝んでいるのだろうか。





 暫くして、注文した蕎麦が来た。蕎麦粉の色が濃い。つゆに付けて食べると蕎麦の香りが鼻を抜ける。味に無頓着な母も、味にうるさい兄も、合いの子の私も、満場一致で可決であった。

「美味しいねえ」

 蕎麦をすする母を見て、私は急に、母親が死ぬことを意識した。

 実家を離れている私にとって、この先、母親と過ごす時間はそう多くはないだろう。そうしていつか母親が死んだ時には、一緒に蕎麦を食べた思い出がとんでもなく美しい気持ちがするのだろうか。今、目の前で、熱を持って、摂食をしている生命は、高い確率で私のそれより先に無くなってしまう。老いた母の死は【速報】として世間を賑わせることもなく、身内をしっとりとした悲しみで包むのだろう。

 でも、いつか死ぬよな。

「蕎麦湯が美味しいねえ」
「俺は蕎麦湯飲めんわ。母さん飲んで良いよ」
「蕎麦湯出してくれるお蕎麦屋さんも珍しいよ」
「そう?」

 母は自分の分の蕎麦湯を綺麗に飲み干した。





「じゃあ、また夏に帰るね」
「気を付けて帰りないね」

 駅まで送ってもらって、別れの挨拶をする。母が交通費だと言って、それにしてはかなり高い小遣いをくれた。時給800円のバイトでこれだけ稼ぐのに、どれだけ時間が掛かるんだよ。ネギがうまく刻めず年下の店長に叱られる母の姿を想像しながら、ありがとうと言ってそれを受け取った。