おへそのおなか


NPCになれない夜の夢想

 寝返り。



 26年。ずいぶん経ったような気もするし、若者と呼ばれることもあるし、宇宙の話を引き合いにそれがいかに短い時間であるかを説かれることもある。

 いや、たとえどんなに宇宙の歴史が長いところで、それがなんなのだ。相対的に自分がちっぽけだなどと感じられる能があれば、もう少し窮屈さから開放されているだろう。それができないから狭いベッドに縮こまってiPhoneを握り、虚ろな思考を灯しているのだ。

 何回目か分からない寝返りを打とうとして、とうとう恋人を踏んづけた。はて恋人なんていたかしらと思ったが、活動の限界値をバグらせたツケが認知能力に及んでいるだけだった。恋人はすこし呻いてすぐ死んだ。



 寝返り。



 とにかく私(以下「私」はただ一人私自身を指す)は、自分を媒体としてしか社会との接点を持つことができず、本を読むにも人に会うにも自分が必要といった具合で、とにかくひどい。

 それはまだいい方で、さらにひどいのは、自分の獲得してしまった言語を使わなくてはならない場面である。話すにしても書くにしても、思考を言語に置換しなくてはいけない。ひどい。そして本当に耐えられないのは、私が無言で行うただの思考ひとつさえ、言語なしには叶えられないことである。

 何せ私が使う言語は、暫定の集大成とでも言おうか、26年間、ある土地である文化に囲まれある教育を受けある人間と付き合って培ってきたただひとつの言語なので、あらゆる洗脳の影響をたっぷり受けている。言語を介して思考すれば思考するほど、洗脳が強化されていく。ひどい。ひどすぎる。

 フラットな視点とやらを会得したいが、そもそも、それを願う私自身が傾いている可能性を否定できるのか。無理だ。排他的な私をよく分かっている。取り繕ったところで隠しきれず、差別的な言動を何度重ねてきたことか。それを矯正するために本を読んで、人と話して、獲得したつもりになった知識も、多様になったつもりの価値観も、洗脳済みの私に取り込まれた時点ですっかり腐ってしまう。



 寝返り。



 ときどき彗星のごとく現れた優しい御方が「私らしさ」を肯定してくださるが、自分らしさなどという人生のラスボスを味方に取り込もうとしている人間の言葉なんて聞けるもんかとヘソを曲げている。「大丈夫だよ」‪「うまくいくよ」と励まされるたび、大丈夫じゃなければ、うまくいかなければ生きてはいけないのかと一機失いたくなる。

 やがて「何を言っても無駄だ」という建設的な判断のもと、彗星は消えていく。



 寝返り。



 NPCになれないのなら、せめて少しでも長く、自分を手放していたいものである。でも



(言語を失いながら就寝)