おへそのおなか


「お忙しいところ恐れ入ります」

 誰が決めたか知らないが、電話で「もしもし」と言うのはマナー違反らしい。そういうものらしい。

 社会人になってすぐのナンタラ研修でそれを叩き込まれた私は、もしもしひとつで叱られるのも面倒なので、仕事中に電話をかけることがあれば「お忙しいところ恐れ入ります」を突破口に電話対応を攻略していくことを決めた。なかなか謙虚っぽくていい言葉だ。しかし問題がひとつある。



 めちゃくちゃ言いにくい。



 ひと息つくには短いけれど、ひと息つかず言いきるには長い中途半端なセンテンス。アクセントの置きどころが分からないちぐはぐな文構造。もしもしと言ってしまいたい。マナーの代償に失ったさわやかな語感。封印されて初めて知るもしもしの洗練性。悔しい。

 なにより「恐れ入る」という身の丈に合わない言葉がどうしても使いこなせないのである。私は本当に恐れ入っているのか。そもそも人生において一度でも恐れ入ったことがあるのか。ただの上辺じゃないか。マナーに心を売り渡してしまったのか。電話の第一声から自分を偽るような真似をして本当にそれでいいのか。かしこまった風で誤魔化しているだけじゃないか。嘘をつくくらいならもしもしって言え。

 ……とは言えこれも社会の荒波を乗り切るためだと割り切りながら、電話のたびに「オソレイリマス」botと化してきた。そのため人の電話を盗み聞きして、淀むことなく恐れ入っている人間に出くわすと、大したビジネスパーソンがいたもんだなと敬意を表するのである。





 ところで今日はある用事で電話をかけなくてはいけなかったのですが、朝からノートパソコンに張りついて「電話 第一声」「電話 緊張しない」「電話 メモ とり方」などと検索しては延々とネットサーフィンをしている内に時間だけがつらつらと経過してしまい1日まるごと大難破した腹いせにブログを書いた次第です。ガチャン