おへそのおなか


捕まえた愛は片足で逃げた

 昼下がりに訪ねた路地裏の喫茶店は、町中の退屈が一斉に押しかけたみたいにがらんどうだった。そのくせやたらにぎやかなのは、ジャズとワイドショーという混じり合えない2つの音がぶつかっているせいらしい。好きな席に座るよう促され、テレビからなるべく遠いテーブル席に腰かけた。お冷が運ばれてきたタイミングでアイスコーヒーを注文する。

 ひと息ついて、ゆっくり店内を見回してみる。テーブル代わりのゲーム筐体、臙脂の革が張られたソファ、寛がせる気概がむんむん伝わってくる本棚。壁掛けのランプは店の薄暗さを守るように淡くやさしく光っていて、ただひとつワイドショーがやかましいけれど、それを差し引いたってすてきな喫茶店だ。

「お待たせしました」

 店主の声で、丸まっていた背中をよそゆき仕様にぴんと伸ばす。コースター、アイスコーヒー、ストロー、ミルク、それからシロップが静かに置かれた。ミルクとシロップはいつも使わないので最初に言っておけばよかったなといつも思うんだけど、後の祭りである。

「ごゆっくりどうぞ」

 お言葉に甘えますの意で会釈。店主がくるりと背を向けたので、よそゆきモードを解除して、また背中を丸くした。

 アイスコーヒーにストローを差すと、ちょうど逆立ちしたからかさおばけのような格好になった。下駄にあたる部分をくわえ、ひと口飲んでびっくり、なんと麦茶の味がしたのである。それも、いつかの夏が始まりかけたあの日、狭い教室から逃げ出してひとり家に帰った夕方に冷蔵庫から取り出して飲んだ麦茶の味。まさかそんなはずはないと気を取り直してふた口目。やっぱり気のせいだった。ちゃんとアイスコーヒーだ。おいしいアイスコーヒー。当たり前だ、アイスコーヒーを注文したんだから。鼻に抜ける香ばしさに、あの日の記憶を揺り起こされただけだった。なんて間抜けな舌だろう。

 待てよ、まさかこれが愛なのか!



 なぜ急に愛が出てきたのかというと、話はすこし前の夜にさかのぼる。その晩、私を含めた酔っぱらいたちは卓を囲み、愛について語り合っていた。なにかのきっかけで「愛と性欲を見誤ってはいけない」という発言が飛び出したので、私がそれに食いついたのである。愛という大きなかたまりをほどけばきっと性欲だって見つかるのに、見誤るとはどういうことなのか。愛とは語るべくもない尊いものなのか。では人々が当たり前のように、さも愛が愛であるかのように信じ込んで没頭しているものの正体はなんなのか(言い訳だけど、そのとき私はしっかり酔っぱらっていた)。

 別の酔っぱらいが皿を愛に見立てて語り始めた。「愛がこれだったとして、」皿の輪郭を触れずになぞる。酔っぱらいの人差し指が描く愛の軌跡を目で追いかける。「性欲はこの辺にあるんじゃないか」続けて酔っぱらいは、皿の端っこに小さな性欲丸(ひどい名前だ)を描いた。性欲丸は、愛から半身ほどはみ出ていた。「じゃあ、ここには何があるんですか」性欲による侵略を免れた愛を指して私が尋ねる(繰り返すけど、そのとき私はしっかり酔っぱらっていた)。

 その後もやいやい話をして、結局、どうだったんだっけ。理解し合うのは難しいね、みたいな収束の仕方をしたんだっけ。なし崩し的に次の話題に移ったんだっけ。時間は24時を回っていたと思う。



 とにかくそんなこともあって、朝からずっと頭のどこかに愛という正体不明のおばけがぴょこぴょこと飛び回っていたんだけど、とうとうそいつを捕まえた気になった。つまり、つまり愛とはアイスコーヒーのことで、性欲は香ばしさのことなんじゃないかと思った。ご指導いただくまでもなく無茶苦茶で訳が分からないということ、このブログを書いている今なら分かるんだけど、そのときは本当にそう思ったのだ。氷がとけたアイスコーヒーは色を薄め、見た目にも麦茶そっくりになっていた。「愛の経年劣化だ!」私は打ちひしがれた。

 しかし困ったことに、薄くなりすぎたそれを飲んでみると、既にアイスコーヒーではなくなっていたのである。強いていうなら香ばしい水。なんてことだ。性欲だけを残して、愛は片足で飛びはねどこかに逃げてしまったらしい。しまった。捨てられた。なんということだろう、腹いせにつついた氷までもが、からからと私をあざ笑うのである。圧倒的な失恋だ。