おへそのおなか


すてきな出汁

8月23日(木)

 図書館で料理本を借りた。レシピ以前の料理の基礎や心がまえを丁寧に書いてくれている本だ。

 読んだ。

 疲れた。

 すてきな出汁のとり方はすてきな工程を追うだけでぐったりしたし、私には顆粒出汁があるし、なんなら納豆パックに封入されし果糖ブドウ糖液糖の入ったタレでうっかり大喜びするような暮らしぶりだし、今さら昆布をかたく絞った濡れふきんで拭く気にはならない。

 本を置いてのそのそ起き上がり、納豆に調理バサミでじゃきじゃき刻んだネギをどばどば入れてかき回し、レンジで解凍したご飯にのせてずぞぞと食べた。



 ていねいな暮らし。

 一時期そのようなものにあこがれて松浦Y太郎氏の本を読みあさっていたことがある。出来合いの品もすてきな器に移して、爪先、手先、髪先をうつくしく整えて、朝は一杯の白湯で始め、うんうん、わかります、本当にわかる、わかるんですけどね。

 当然そんな暮らしは長く続かず、皿は割れ、汁はこぼれ、爪切りは2本に増え、3本に増え、1本どこかにいったのでまた2本に戻り、おーい、もう1本どこいった?

 はさみも家に3本ある。それぞれの所在はよく分からない。使いたい時に3本のうちのどれかがうまいことそばにあればそれを使い、また混沌に葬り、また使いたい時には混沌から呼び戻し、の繰り返し、見つからなければ爪切りで代用可能。切断は気合いでなんとかなる行為だから。

 服をたたむことも諦めている。ハンガーの数だけ豊かに生きよう。ああ、私の家にあるハンガーはどうしてこうも色とりどりなのか、目が痛いよ。

 などというように、どう考えても出汁以前の生活がままなっていない。ふきんをかたく絞っている場合ではない。



 それで今日、よく行くカフェチェーンに行ったんだけど、私の前に並んでいた人がいつかのあこがれそのものだったので、不躾な視線を逸らさずぶつけてしまった。

 手の届きにくそうな背中のジッパー、ライトブルーのプラダの財布、華奢な腕に通された細い金のブレスレット、ワッフルとアイスココアの組み合わせ、ああ、どれもいつかの私があこがれたものだ、いや、ワッフルにアイスココアはないな。

 きっとこの人の部屋には爪切りが1本しかないんだろうな、それともなんかすごい高原にしか生息しないヤギのようなもののツノでできた爪やすりとかかしら。ハンガーはすべてこげ茶のような色(本来はなんかおしゃれな横文字のカラーネームのやつ)で統一されていて、衣服は乾いたそばから手際よくたたまれていくんだろうな。なにもなくとも口元にたたえられている柔和な笑みは感じよく、私もそれがほしかったな、ああ、きっと、この人は昆布をかたく絞った濡れふきんで拭いているんだろうな。あーあ。



 コーヒーをずぞぞと飲み干してカフェを出ると、知らない間に降った雨で知らない人たちが濡れていた。スニーカーの底を水たまりで濡らしてアスファルトをこすってみると、じんわりと色が濃くなった。今夜はすてきな出汁がとれそうだ。