おへそのおなか


この町でキャップが脱げない

 押しボタン式信号機が怖い。

 私がボタンを押すことで車線は赤信号に変わり、何台もの車が足止めを食らってしまう。自分がボタンを押さなければもっと早く目的地に着けたはずの人たちに申し訳ない気持ちになる。ひょっとしたら、これまでに、自分がボタンを押したせいで大切な商談に遅れてしまって会社をクビになってしまった人がいるかもしれない。怖い。

 渡りたい押しボタン式信号を見つけた時、私の前に既にボタンを押している人がいれば随分と気が楽になる。私が押したんじゃないですよ、私のせいでクビになるんじゃないですよ、私を恨むのはお門違いですからね、と性格の悪いことを思いながらすいすいと信号を渡ることができるのだ。

 では私しか渡る人がいなければボタンを押さないのかというと、そういう訳でもない。「私の後にも誰か来ると思うし、その人のために私が押しときますね」と頭の中で言い訳をしながらぽちりとボタンを押してしまう。願い通じて私の後に誰か来ればほっとするし、誰も来なければ、この後クビになってしまう会社員の視線を強く感じながら、目深にかぶっているキャップをさらに深くかぶり直し、顔が割れないようにうつむきながら渡るのである。



 カフェで隣のテーブルに座る2人組が怖い。

 盛り上がっていた2人組の会話が急に途絶えると、声をひそめて自分の悪口を言っているような気がして、あわてて背筋を伸ばし、開きかかっていた足をぴしりと閉じる。そして屋内でも被ったままのキャップの下からちらりと2人の様子をうかがうのだ。よかった、こちらを見てはいない。たまたま会話が止まっただけらしい。

 安心した私はまたぐでんと背中を丸め、悪い癖ではあるけれど、2人の会話に耳を澄ませる。マクドナルドでは社会を痛快に斬る女子高生の会話がよく聞かれるようだが、私が行くカフェで話されているのは大抵一緒に働いている同僚の悪口だ。しかし当人らに悪口という意識はなく「愛ゆえの指摘」というていで話しているのが厄介で、それならば同僚に直接伝えてやれよと強気になれるのも最初だけ、出来の悪い同僚のエピソードを聞いているととても他人事だとは思えず「愛ゆえの指摘」がぐさりぐさりと私の心を斬りつけるのである。ホウレンソウができない、機転が利かない、自分はできないのに文句ばかり言う、ああ、すみません、同僚に代わって私が謝るのでご容赦ください。

 耐えきれなくなって私はカナル型イヤホンを耳に深く、脳みその端を多少えぐる程度にそれはそれは深くはめて『寿司屋』のサウンドを大音量で再生するのである。大丈夫、ここは寿司屋、怖いことなんてなにもない、へい、中トロお待ち!



 スーパーが怖い。

 購買意欲をかきたてるべく計算し尽くされたレイアウト、ネギと納豆と豆腐と水を買ってさっさと立ち去りたいのに、四方八方から関節の存在しないにゅるにゅるとした腕が私に向かって伸びてくる。「買ってよぅ、買ってよぅ、買ってよぅ……」購買を乞う商品たちはさながら妖怪、目が合うと捕まってしまうのでキャップのつばで視界を遮り床ばかりを見てずんずん歩く。

 そうしてなんとか妖怪たちの手を逃れても、まだレジ精算が待っている。レジも怖い。

 なるべく早く順番が来そうなレジに並んではみるんだけど、私はそれを見極める能力が低いらしく、隣のレジに後から並んだ人の方が早く精算にたどりつくことが多い。急ぐ用事もないからいいんだけど、怖いのは、私が待っている間に隣のレジが空になって「お待ちの方こちらにどうぞ」と呼びかけられる瞬間である。ありがたいのはありがたいんだけど、レジが空いたと同時にそのレジに並ぼうとしている人がいたとしたらどうだろう。

 レジ全体をレジとして見なすのならば、先にレジに並んでいたのは私だけど、Aレジ、Bレジとそれぞれ別のレジと見なす場合、AレジからBレジに移ろうとする私より、空いたBレジに並ぼうとした新規レジ客の方がBレジにおける優先度は高いに決まっているのである。そうしてBレジに移りそびれたとして、Aレジを諦めた身としてはAレジの元々並んでいた場所に戻る訳にもいかず、AレジあるいはBレジの最後尾に並ぶ必要がある、そして並んだAあるいはBレジでまた順番が近づいた頃にAあるいはBレジから「お待ちの方こちらにどうぞ」と呼びかけられたら? 永遠に抜け出せない魔の無限ループである。

 それに陥るのが恐ろしいので、私は「お待ちの方こちらにどうぞ」と呼びかけられても、いえ、私は好きでAレジに並んでいるのですと口を真一文字に結んで、キャップの陰に隠れるのである。ああ、なんと感じの悪い客だろう。



 のっぺらぼうでいたい。

 私の行動範囲はかなり狭く、大体いつも同じ店、同じカフェ、同じ施設をぐるぐると回って過ごしているので、おそらくいつもすれ違っている人もいると思うんだけど、うつむいて歩いているので人の顔が見えない。それでも時々見かける人で、特徴的な髪型であったり、服装であったりすると、印象に残りやすいもので、2度目以降その人を見るとその人は最早私の中でのっぺらぼうではなくなっている。

 さて、自分はどうだろう、人の人生において顔のないまま生きられているだろうか。こちらが知らない人から認知されるのが怖いので、なるべくそうならないようにしたいけど、いつも行く店のいつもいる店員にはもしかしたら覚えられているかもしれない。私の顔は薄いし服装も特別へんてこな自覚はない(人からへんてこだと指摘されることはままあるけど)ので大丈夫だと信じたいんだけど。見られたくなくてキャップをかぶりながら、見つけてほしくてブログを書く。この矛盾を誰かが受容してくれたらなあ、チラッチラッ。思いがけず最後まで聞くと不幸になるタイプの怪談話みたいな終わり方になってしまった。ごめん寝。グー。