おへそのおなか


死にたいなんて言いませんからどうかどうか

 自分は不器用な質ではありますが、ことにペーパーテストとなると途端に器用に点を取ることができたので、それを支えに二十歳過ぎまでせっせと怠けて参りました。とにかくがんばりたくない挑みたくない一心でありのままの私の成績を受け入れてくれる大学に入り、就職先もひとつしか考えず、なんとなく就職してみたものの、就職先ではペーパーテストを受ける機会が一度もありませんでしたので、結局幾年もの間不器用に不器用を重ね「不出来者」の烙印を押されまくる内に心を患い、今日まで仕事を休んでいます。

 思えば幼い頃から何かにつけて心を病んでは学校を休んでばかりいましたが、それでもペーパーテストが得意であることを支えに何とかやれてきたのに、この歳になるとそんなものは何の役にも立たないと思い知り、かつて私より成績が悪かった人がせっせと幸せになっていくのを帰省の度に母に知らされます。学業は芳しくなかったとはいえ、努力を怠らぬ人、朗らかな人、優しい人などばかりが順当に幸せになっていくかと思いきや、自分よりも学業優秀だった人はというとそれはそれで素晴らしい職につき、結婚をし、なんと子まで産む始末。つまりはただ一人私だけが不幸せなのであると胸を張って町を歩こうとすれば、昼間からカップ酒片手にふらふらする親父があっという間に見つかっちゃう。あれはあれで幸せだって分かっちゃいますけどね、私はそういった類いの不幸者ですらないのです。とにかくね幸か不幸かなんて二極の間に自分の立ち位置を見極めようとしたところでそんなもんで腹は膨れぬばかりか心まで貧しくなる一方なのです。

 もうこの際幸か不幸かなんてことはどうでもいいと投げ出してみたって人間だもの腹が空きます、どうにか食い扶持を稼がなくてはなりません。やりたいことなどありません。得意なこともありません。仕事なんてそりゃ君、好きでやる人は稀だよと説教垂れる人がありますが全くその通りで、けれども私は絶対に働きたくないのです。ならばどうにか労働に従事しない形で生きてゆかねばならないのですが。

 そういえば「ブロガー」なんて訳の分からない職で金を稼ぐ者があると聞きます、私もブログを書いているのでもしかしたらこれが職になるんじゃないかしら、と一瞬ひらめいてすぐ、気付いちゃったのです。無理だと。だってそうです、私が好きなどう読んだっておもしろいブログを書いている人も、どうやらそれを専業にしている気配はありません。何なら世間にも大して見つかっておらず、むしろ貧しい暮らしに甘んじているようです。あんなにおもしろいのに出版社はフォロワー数しか読めないらしい。

 ということは大しておもしろくもない私がこのままぶつぶつ読者が3桁にも満たないブログを書き続けていても、これで食える可能性は一切ない訳です。そりゃどう考えたってそうですし、まさか自分だって本気でこれで食おうなどとはこれぽちも思っちゃいませんでしたが、なぜだか急にこのブログがなんだかすごい人に見つかって、一本8億円くらいの文章なんか頼まれちゃったりしないもんかねと、心のどこかでは憧れていたのだと思います。

 では何で食い繋ごうかと考えた時、小説家にでもなってやろうと思いました。なれる気がしたのです。だって私日本語が書けます。何だか才能もある気がしてきました。こんなに生きづらいのに小説の才能がないはずがありません。早速ダイソーに出かけて108円で原稿用紙を買いました。小説というのは書きながら物語が浮かぶものであるそうで、書くのに時間がかかるペンと紙を用いた方が、いろいろひらめきやすいとある本に書いてあったからです。早速ペンを持って原稿用紙を睨みました。しかし、ううむ、どうしよう、書きたいことが何もありません。それもそうです。私の暮らしぶりと言えば寝床に居ながらにしてインターネットをするか、寝床から這い出て排泄をするか、やっとのことで外に出かけて自転車を漕ぐくらいなので、何もテーマにしたいことがありません。自転車の無灯火運転がいかに腹の立つ行為であるかを伝えるために登場人物を異世界に飛ばしたり殺したりするのは難しそうです。小説家は諦めることにしました。

 私は泣きたくなりました。薄々感じてはいましたが、どうやら私は何においても、才能ある人物ではないらしいのです。「怠けてはいるけどやればすごいやつ」、漠然と自分にそんな期待を寄せていたのにね。ただの能なき怠け者であることがはっきりと分かった訳です。きっと聡明な皆さんはそんなこととっくに気付いていて、才能を開花させるに努めるか、そうでないなら自分に合った方法で生きることを選んでいたのでしょうが、間抜けな私は今日までない才能に縋りつき怠けて暮らしていたのです。自業自得とはいえ、すっかり落ち込んだ私が次に手に取った本が『怠惰の美徳』というのも、仕方のない話だと思いませんか。

滝なんかエッサエッサと働いているようだが、眺めている分には一向変化がなく、つまり岩と岩の間から水をぶら下げているだけの話である。忙しそうに見えて、実にぼんやりと怠けているところに、言うに言われぬおもむきがある。私は滝になりたい。

梅崎春生『怠惰の美徳』中公文庫; p.15-16)

 私は確信しました。私は人間に生まれるべきではなかった、滝として生まれるべきだったのだと。人間なんて駄目です、思い上がった人間風情が「せっかく人間に生まれた以上」なんて言い出して有益なことばかりやろうとする、あるいは死ぬまでの暇つぶしなどと言ってその才能を遺憾なく発揮し私のような凡夫を絶望させる、人間なんて嫌です。ちゃんと死ぬまで何も為さず怠けて暮らしたいよ。やりたいことも成りたいものもないです。何の責任も負わず何も生産せずただ毎日すこしのお金で贅沢はせずとものんべんだらりと暮らしたいだけなのです。何も死にたいなんて一国民を人質にとって脅迫するようなことは言いません、滝にしてください。私をどうか滝にしてください。