おへそのおなか


2019年1月11日 声

 日記を続けて書いている。意味も目的も決意もない。みずみずしくも何ともない日々を、本当にどうでもいい一日を、意味がなく、無駄でしかない一日を、昨日と明日に差を付けるために板を差し込むような行為に過ぎない気もする。

 14時40分に外に出た。

 理性を上回って感情が揺れ動くところに、人間味は見つかるのかしら。適当に働いている店員に接客されるのは安心する。正常だと感じる。制服姿を着替えて退勤の準備を済ました店員が、いかにも良かれと思ってという風にテーブルの片付けをするのを見ていられない。カフェで、薬局で、必要以外の会話を持ちかけられることが耐え難い。

 人の顔を見ないでいると、人の顔を判別する能力が鈍るのだろうか。元々外国人の顔は見分けがつかず、ニット帽を被り黒い縁のわざとらしい野暮ったさのする眼鏡をかけて髭を生やした男の顔もすべて同じに見えるし、ある一定以上の美しさを持つ女性はもう全て美人としてしか認識できず余程詳しくなければ髪型でしか違いが分からない。最近すれ違う人がその条件を一つでも満たすなら全て働いていた頃に苦手意識を持っていた人に見えるようになってきた。これはなかなか恐ろしいことで、ますますキャップ帽を手放せない。マスクもしてもいいんだけど、不審さで寧ろ目立ちそうな気がして。

 カフェの中に充満する不自然な温もり。外側があたたかくて、内側が震えている。明るい場所で知らない人の視線に晒されただぼうっとしていられることに安心する。顔の真ん中から耳の後ろまで同じ長さで前髪を切り揃えた女が隣に座る。足を組んだ爪先が落ち着きなく揺れている。彼女はさっさとコーヒーを飲み干して店を後にした。粘っている顔触れは私が来た時とひとつも変わらない。真正面で足を組んで眠りかけている女と、向こうの方で下品な笑い声を栞代わりに悪口に没頭する二人組と、それから自分である。喫煙室から出てきた男がぼて、ぼて、と調子の悪いリズムを打ちながら階段を降りていく。新しい客が来る。二人組の女だ。仕事の休憩時間かしら。乾いた木の板にビー球をいくつも転がすような音の響きで会話をしている。ビー球の数が減ることはないけれどふとしたタイミングで一気に流れ込んでくる。しばらくは気にしていなかったけれど、ビー玉が増え続けて私の足元にまで転がってくるようになってようやく耐えきれなくなったので店を出ることにした。今日はここまで。