労働に日記を乗っ取られ12月

 飲んだ覚えのないコーヒーがカバンから出てくる、というような酔っ払い方をいまだにしてしまうのか。朝起きて、職場の人の子どもの写真とか思い出して、自分の部屋は馬鹿みたいに散らかっていて、そこに誇りは何もなくて、お酒を飲んで曖昧になった不安が逆襲のように浮かび上がる。それでも最近は「まあいいか」への切り替えが早く、それは人生の受容ではなく無関心なのであまり良いことではないんだが、あーあ、昨日のごはんだけ美味しかったな。

 非正規雇用労働者(派遣社員)として働いて数ヶ月経ち、仕事ぶりをやたら褒められ正社員採用を匂わせてくるもんで「どうせフルタイム週5でやってんだからそれがいいなあ!」と叫んでみたらいやそれはちょっと難しいみたいになってるのが今。「釣られクマー!」と派遣元の営業に愚痴ってみたらお気持ちは分かりますが会社を悪く言わないでくださいとたしなめられた。お気持ちはよく分かりますが、だって。私だって労働者を雑に使いたいお気持ちはよく分かる。でも釣りはダメだろ!

 こんな具合にいつまでも労働のことばかり考えてしまう自分が情けない。人生の序盤に努力の味を覚えて、見事に今それを実らせている人を見るたび羨ましくなるし、実らなくたって誇りを持って生活している人を見るたびに羨ましくなるし、労働は労働と適当に割り切って人生の課題に取り組んでいる人を見るたびに嫉妬する。自分は労働に文句を言うことで満たされているのかもしれない。もちろん嫌だこんなことは。嫌なんだよー、でも嫌なんだよー!

「お金をたくさん得たとして、労働しなくて良くなったとして、それであなたは何をするの?」

 もうやりたいこと見つけられらなくなっちゃった、「インプットの量が圧倒的に足りない」あっ訳を知ってる若者だ、でもねえ見て、見てよ私のこの空虚を